2014年1月16日 (木)

映画「ワーカーズ」文京上映会

Workers_pr0001


映画「ワーカーズ」文京上映会

映画「ワーカーズ」文京区で上映です。

2012年/94

(出演者のトークもあり!)

ともに働き、ともに暮らす

「小さな共生社会」をつくる新しい働き方。

スカイツリーの下で繰り広げられる

 まちの人々とワーカーズコープの物語。

2014127()

1回 14:30 (開場14時)

2回 19:00 (開場18時半)

当日1,000(前売800)

65歳以上は当日、前売とも500

会場:文京シビックセンター小ホール (東京都文京区春日11621

 問い合せ:ワーカーズコープ 東京中央事業本部

 03-5155-6231 tokyo-chuo2@roukyou.gr.jp

→私もお世話になっていたワーカーズコープの映画、このたび谷根千エリアでの応援で、前売り券を販売して回っております。

墨田区だけでなく広く展開されていて、地域の仕事に相応しい仕組みで、谷根千エリアのどこか懐かしい町並みや、人々の営みもこのワーカーズコープという仕組みと相性がいいと思っています。

決してきれいごとでない、てんてこ舞いのなかで、みんなで問題に一つ一つ向き合う映画のシーンは、私たちに、働くことそれ自体を、文化として後世へと伝えていけるという確信をもたらしてくれます

谷根千ねっとの情報トピックスに載せておりますので、ご関心のある方はご一報くださ~い。

谷根千ねっと→http://www.yanesen.net/topics/detail.php?id=768 

私の映画(試写会で)の感想など→http://500rakan.way-nifty.com/blog/2012/12/post-c545.html 

ワーカーズコープ。コープというと生協を思い浮かべられると思いますが、消費者側のコープではなく、働く側のコープがワーカーズコープです。みんなで出資してみんなで汗をかいて働く協同組合ということになるかと思います。ヨーロッパなどで実施されているこの仕組みが日本では法整備が遅れています。そのためにもこうした映画で知って頂く必要を感じます。

|

2013年10月 6日 (日)

明の窓から、明(AKE)メディアに。明朝体からみゆ字へ

谷中の「明の窓」を閉めてから半年、明メディアとしての芸工展2013参加です。

「みゆ字を綴る4」

 

≪芸工展2013参加イベント≫

□明朝体からみゆ字へ。MIYUさんのパソコン作品。昨年の「明の窓」から一転。今年は、上野桜木の旧平櫛田中(ひらぐしてんちゅう)邸の一角(サンルーム)で展示します!作品の数は10数点ほどにしぼりました。ゆっくりご覧ください。

□今回は、彫刻家平櫛田中さんの住んだ家(アトリエ)自体が一つの作品のような雰囲気です。同時開催の(というかこちらがメイン!)の「修復のお仕事展」(絵や仏像等のプロの修復師の集まり)はその雰囲気にピッタリの、またこれからの”創意工夫による手仕事の時代”に相応しい素晴らしい展示です。あわせてご覧ください。

□「いまやらねばいつできる」平櫛田中先生の名言からみゆ字の「今」をご覧いただきます。

□「明(AKE)」「明の窓」時代の作品、展示はこんな感じでした~ああ、懐かしい!

 今でも、月に、数文字、コツコツと創っているMIYUさんです。間もなく250文字到達??

越えろ、常用漢字、というか、こちらは多様漢字です。

□日時:10月12日(土)13日(日)14日(月祝)、および、19日(土)20日(日)(いずれも11時~17時。ただし20日は16時まで)

※MIYUさんは、19日からの後半に登場の予定。

□場所:旧平櫛田中邸(台東区上野桜木2-20-3)

初めての方には、意外とわかりにくい所ですので、時間に余裕をもってお越しください~同時開催の、修復のお仕事展(伝世舎)さんの地図

(根津駅からの詳細地図も分かりやすいです)

または、

たいとう歴史都市研究会さんの地図

がとても参考になります。

千代田線根津駅1番出口から約10分(長い上り坂あり)。

なお、鶯谷駅からのほうが歩いて7分くらいと近いのですが、分かりにくいので、お勧めはしていません。

連絡:090-クイゴナーイナサブロー(音読み)

 aki_sakabe(@)yahoo.co.jp

|

2012年12月14日 (金)

劇団態変の金満里さん待望の東京でのソロ公演!

さあ、今年もいろいろあったけれど、今年のトリは、これでいこう!

 

劇団態変の金満里さん東京(新宿)でのソロ公演「天にもぐり地にのぼる」だ。

何と言っても、今回のテーマが今年の干支の龍だから、だ。

「真白な子蛇から龍へと変容するさまに」映しこまれる金満里さんの身体に注目!

えっ来年がへび年だから、逆だろうって?

こらこら、そんな屁理屈言わんで、

「天にもぐり地にのぼる」金満里さんをそのまま体感してみよう!

ついてこれるんかいな~

韓国古典芸術家の母を見て育ったという金満里さん。

三歳でポリオにかかり全身まひ、その身体に

みんなでついて、行こうよ!

 

昨日の東京の朝日新聞夕刊も「常にぎょっとさせたい」というタイトルで

取材されてましたね。

「舞踏でもダンスでもない。天地両極をひっくり返し善悪が混然一体となり、宇宙へ拡散…略…グロテスクな身体をやりきることで、生きる意味と深くつながる何かが見えてくると思います」と金満里さん。

 

 

2010年大阪で初演を迎え、好評を博し、その後2012 年に、沖縄・キジムナ―フェスタ招聘公演を経て、今回満を持しての東京公演です。

これを観ずして年をアラタまる(脱皮する)なかれ!!

 

場所は新宿タイニイアリス

2012年

12月

27 ( ) 19:30   

28 ( ) 19:30

29 日(土)16:00

30 日(日)14:00

 

劇団態変公式HPでのネット予約か、さもなくば、私(坂部)もチケットを預かっていますので、顔見知りの方、お近くの方は、メールをください。

aki_sakabe@yahoo.co.jp

|

2012年12月 9日 (日)

映画『ワーカーズ』を観る

虎ノ門ニッショーホールにて、映画『ワーカーズ』の上映会に行った。チラシには『「小さな共生社会」をつくる新しいはたらき方。スカイツリーの下、子育て・ケア・労働、をつむぐ、まちの人々とワーカーズコープの物語』と銘打たれている。協同で働きながら生活していく物語だ。

 じつに国際協同組合年に相応しい企画と思う。

冒頭、主宰者挨拶でフクシマのことなどが語られ、映画上映が始まった。

 

画面に突如、松元ヒロが登場する! 松元氏は社会風刺的な一人コントをパントマイムを交えておこなう第一人者。私は大学時代に当時最初のブームになりつつあったろう者の手話劇の仲間に会って以来、手話劇とパントマイムとの違いや関係を肌で身をもって感じたくて、中目黒のスタジオに少しばかり習いに行ったことがあったが、そこの花形だった方が、そののちに松元さんらと笑パーティを組み、全国的に一世を風靡されていた関係で気にはなっていた。

 

それにしても開始早々から抱腹絶倒。気が付いたら、この映画の舞台の下町、墨田にトリップさせられていた次第…。(松元氏はこの映画の道化というか導入役として何度か登場する。後半では、介護保険の現場のたいへんさを“洗濯機”になり切って表現、圧巻だ)。

 

いまや東京スカイツリーのおひざ元にもなった墨田区。

そこで地道に事業を展開してきたワーカーズコープの実際の物語だ。全員が出資し、働き、対等の立場で経営もするという、協同労働の説明。えっと誰もが思うだろう。この世知辛いご時世にそんな働き方があったのか、と。

おまけに全員が一人一票ですべてをみんなで決め、いっしょに汗をかく。給料も全員で話し合う。(協同組合的運営であり、かつ、経営もみんなでやりそして協同で働く、一人何役だろう、松元ヒロさんに演じてほしいなあ~)

 この松元ヒロさんもが舌を巻く(かもしれない)この働き方。たいへんかもしれないけれど、たいへんの質がちがう(生き生きとしている)あたりが、この映画の見どころではないだろうかと思わせるシーンが三部構成(?)に何度も、そして最初から、登場する。

 児童館運営、それだけでもたいへんなのに、地域の人たちと何かをしようという若い人たちの試みが映し出される。日常業務をこなしながら、なおかつ町のためにやっていくんだという強い思いがないと、と子ども会から途絶えていたある伝統の大会を復活させる。

「雇う―雇われる」関係の中でだったら、上の者から、行事をやるぞと言われたって、そりゃー、残業代でももらわないと、とか、ホンギョーとどう関係あるんです?ってことになるであろう。協同で働く醍醐味はここがちがう。出来る出来ないよりもまずやり始めてみる、そんな若さと、それを(地元の)子どものことだから、と見守りつつ時に背中を押してくれる地域の人たちの姿とのやりとりには、じーんとくる。

そしてみんな明るい。

そこに、映し出されるのが、平和地蔵。そう、ここの一帯は、東京大空襲で、火の海となり多くの犠牲者が出ていた。のちに地元町会、有志によって、ここに平和地蔵尊や慰霊碑が建立されていたのだ。こうした歴史を経て来ての、みんなで支え合う明るさだということに改めて気づかされる。驚いた。

こうして百人以上を集めての大会へと物語は突き進む。

 

以下は見てのお楽しみということになるのだが、二番目のお話の中に出てくるワーカーズコープ組合員が、広場で高齢者を集めて体操しているシーンでは、伸びをした瞬間に、それを見守るようにスカイツリーが凛と立っていたのがとっても印象的だった。観光ばかりではないこういうスカイツリーもとっても素敵だなあと思えた瞬間だった。そう思わせてくれる物語が展開されるのでぜひ見てほしい。「自分」を取り戻せる伸び、に喝采だ。

最後のお話は、地域に溶け込んで12年の、あゆみケアサービス。これはもうケア関係者ならずとも、わがまちを愛する人、旅する人、すべてに見てもらいたいお話だ。ここまで出来るんだ、と勇気が出ます。

ここの所長の大谷さんとは、私も同じワーカーズコープで山谷での協同の仕事をしていた時分にお会いしたことがある。私のほうは数年で挫折してしまったけれど、それでも(そんな話でも)、熱心に聞いてくださった。(聞かれているだけでも)凄みを感じる方だ。皆さんも、この映画を見て思うところがあったら、ぜひ、ご本人のいらっしゃるあゆみケアサービスに行かれてみることをお勧めしたい。

そうしてこの墨田のエリアを散策されれば、まちの息吹を感じられると思う。

映画の中にも、すぐに運んでくれる八百屋さん、ブロックを積んだ軽トラ、昭和歌謡、飲食店店主の無骨な優しさ、元靴職人…というまちの息吹が満載である。

私の住む谷根千(やねせん。谷中・根津・千駄木および日暮里や上野桜木他、増殖中)もそうした生活と職人をはじめとする仕事の息吹を大事にしてきた(NPOの谷中学校や地域雑誌谷根千らの活動で大いに自覚的になった)歴史があり、いまもそれを継承発展する人は多い。

町並み保全もその一つ。

この映画でも、消防車や救急車の入れる町というかたちで、変わりつつあることが語られるなか、単に新しくなっていくのでなく、こうした地域の息吹、交流を継承させる試みとしても、ワーカーズコープは地域に根づきつつあるようなのだ。墨田区の人々の試み、そして墨田区との協働の試みはじつに多くの示唆に富む。

 

時間とふところがおぼつかない中、映画の上映だけ見て、次のまちづくりフォーラムを見れなかったのは残念であったが、以前の仲間にも会え、気さくに声かけあえたのが良かった。みんな地続きなんですね。そもそもここは理事長からして、気さくな方で、それでいながら、「清掃する」意味を考える自問する清掃から、ジャック・アタリの論議などにも目配りを欠かさない広い視野をお持ちの方なのだから、「恐れ入谷の鬼子母神」なのだ~。

…と、どこからか声が飛ぶ、「久しぶり」と言われてチラシを渡される。「これさえあれば、この冬、カゼ知らず」とある労協のクリーンキラー。原液を希釈して使うタイプで、オフィスでも病院、老人保健施設でも、学校、保育、飲食店、配食センターでもお勧め。いや、この独自の製品はもっとPRされても良いのではないか。私も老人施設でPRしてみよう。

と、人のつながり、モノのつながり、面白いものだ。

映画『ワーカーズ』は、これから全国で上映会が始まるようだ。2月上旬にはポレポレ東中野ロードショーもある(谷中がロケ地になった映画『ゆずり葉』上映で私も応援に行ったあのポレポレだ)。ぜひ、一度足を運んでもらいたい。

|

2012年10月24日 (水)

「みゆ字を綴る 3」を実施

みゆ字を綴る 3」(芸工展2012参加企画)

Miyuji3_zenkei

10月20日、21日の土日に「みゆ字を綴る」の第三弾を実施。
多くの方においで頂き有難うございました。

先日までの雨も嘘のような朝。

Miyuji_asa

みゆ字本人解説:おはよう、と言って、目を開けるでしょ? 朝に穴が空いているといいことになる。

まばゆい光が眼に飛び込む

お隣さんの阿部建築さんからワークショップで頂いた左官の壁に、いろはに木工所さんから出る上質の端材を、上野桜木の我家我家市で以前購入した万力で抑えて加工した「眼の縁」を取り付けて、明の窓の窓下をショールームにしたもの。
そこにみゆ字が展示されました。

Miyuji3_gaku

犬、庭、写写
などなど。
そして「目」の字もありました。

Miyuji_me

みゆ字本人解説:目に窓が16個ある。一番右下の目の人がリーダーで「みなさん、おはようございます」という。

Miyuji3_kutsu

縁側の下にも

Miyuji3_enngawa

縁側からの風景はこんな感じ

車イスでおこしの方は、あるいは特等席?になったのかもしれません、じつのところ、この方角からのみゆ字を綴るがもっとも美しいのです。

Miyuji3_tenjou_hasu

ちなみに天井から吊下がる葉っぱは蓮の葉です。不忍池の緑化フェアで刈り込まれたものを処分するくらいならと頂いてきたもの。
ここに展示のみゆ字は…。

Miyuji_koe

声のみゆ字には、マイクが…。蓮の葉も、ラッパ型のスピーカーのようでしょ?
みゆ字本人解説:カラオケボックスに、KちゃんとNちゃんが子どもたちとウチダ兄弟と先生を連れて歌っている。モーニング娘。嵐。Hey! Say! JUMP

蓮の葉といえば仏様ですね。
仏という字も気づかないところにひっそりと出ていました。仏は

Miyuji_hotoke

みゆ字本人解説:大仏さんて石みたいに置いているでしょ?だから吊るの。


その蓮の葉にたまった朝の滴(しずく)に、朝と窓の穴から

Miyuji3_madogarasu


Miyuji3_swell【みゆ字「朝」とSWELL IN FUKUSHIMAのさをり織り】


届いた光で燦然と虹色?に輝いていたのが、これ。

フォルスの皆さんの作品群です!Miyuji3_force_zenntai_4

まさに色とりどり。

Miyuji3_force4


写真はフォルスさんのほうにもっと鮮明な写真があります。
フォルスさんのブログより。

また、落ち葉の詩、仏像、歯の抜ける話、はな火の詩など文章も魅力的でした!

実作風景はフォルスさんのブログにもときおり載っていますので、目が離せませんね~。授業と教材と会話が楽しく絡み合いながら、そこから生まれる作品の数々。フォルスの皆さん、有難うございました~♪

さて、今回は、茶ノ間さんとの同時開催でした。ちゃぶ台フェスティバルです。

アート好きにはたまりませ~ん。ということで、今回は茶ノ間さんでお招きされたお客さんたちもこちらをご覧いただき、中にはアートディレクターのような肩書きの方までが、本にでもまとめたほうがいいよ~など、とのアドバイスも頂戴致しました。こういうことはこれまでの単独での過去二回の「みゆ字を綴る」ではなかったことだけに、嬉しさ倍増でした。
 で、そうした交流も見越して、今回はこちらの展示でも新しい試みとして、プロの校正&編集者とみゆ字のコラボも実施。天地20ミリとか要念校など、プロの指定を入れて頂きました。最初は、「最近はパソコンではこういう指定はあまりしなくなった」と言われていらっしゃいましたが、さすがに、現物に赤ペンをもつとプロの眼に早変わり、「ここがちょっとさびしいから指定を加えておこうよ」、とか、校正と編集までをこなして頂けました。

Miyuji3_kousei


 みゆさんが思いのままに新たな文字の可能性を生み出して、一方の編集、校正のプロが文字と全体のたたずまいを整えるという、じつに「みゆ字を綴る」にふさわしい編集作品(≒みゆ字編む)となりました~♪

プロといえば、もう一人、超短編作家のタカスギシンタロさんが今回も参加。

わずか14日前にみゆ字データを渡すと、当日にはみゆ字+超短編のコラボの冊子が出来上がるという超短編な出来上がり! プロは違います!

 「仙」「人」「目」「涙」「茶」「鏡」のみゆ字を悉く超短編物語に変換。

Miyujichoutanpen

「仙」は「本を登る」の物語に。「人」は「友だち」に。「目」は「十六の瞳」に。「涙」は「喫茶でんでん」に。「茶」は「茶魚釣り」に。「鏡」は「五つ目の方位」に。とくに私のお勧めは茶柱の浮がピクンと来るのがおかしい「茶魚釣り」と、シュールに望遠鏡の視線はこういうことであったのか、と物語の消失点に捧げられた「五つ目の方位」。とくに後者は、私の「眼の旅」の冒頭、「坂部さーん、目ん玉貸してくださーい」といってきた現実の物語と異次元で交差しそうです。面白い!

 今回もまたみゆ字と超短編セットで何と超破格の100円でMIYUさん直々に販売致しました。今回のみゆ字セットのみゆ字の目玉は「夜」でしたが、「みゆ字を綴る」第一回のお客様がまたいらして目敏く「夜」を探し出し、ご購入頂きました。ありがとうございました~♪

(※タカスギさんはあらゆるジャンルに創作されるようで、この10月27日(土)夜には西荻の銀盛会館で超短編+落語イベントも開催されます。乞うご期待)

 みゆ字ご購入以外にも、なんと、なんと、お孫さんのお名前をみゆ字にしてほしい、という方がいらっしゃいました~パチパチパチ。。。

 みゆ字始まって以来の快挙です~。受注生産!

 が、待てよ、お孫さんの名前をうかがうと○◎君という。その字はじつにお目出度い字には違いないけれど、MIYUさん的に意味が掴めるかびみょーなところ。でも、とにかく、やってみよう、とMIYUさん。

 一年かかっても、お待ちしています、と依頼主。そうか、ということは「みゆ字を綴る 4」がまだあるってことでしょうか。。。みゆ字のネタを仕込まねばなりませんねえ。

みゆ字ショーウィンドウに飾った中にあったみゆ字の一つ「赤」。

Miyuji_aka


みゆ字本人解説:赤ちゃん10人いる。名前付けた。ひとみ。もも。てんき。なっとう。ゆうたろう。しんたろう。すみれ。みーこ。れんこん。はな

命名はむずかしい。されどみゆ字を産むは楽し。

|

2012年10月10日 (水)

眼の旅へ ②

1963年10月に、アイバンクが慶応大学病院と順天堂大学病院に設立されたという。また今日、10月10日はその形から眼の愛護デーともされている。

こういう日には、眼の旅のつづきを考えてみたい。

 

 アイバンクで提供される眼の角膜。これは約180年近くも機能し続けるらしい。そう、一人の人間の人生を超えて生き(機能し)続けるのが角膜なのだ。

そうした命の連続性を次の世代へとバトンタッチしていけるのが何ともアイバンクの不思議だ。

で、私がアイバンク登録したのが、昨年の2011年12月14日。なぜ登録したか、そして、なぜ、この日だったか。

 昨年は日本にとってもいろいろあり過ぎた年であったし、また、私個人にとっては人生の折り返し点となった50歳を迎えてのことであった。(もちろん、前回書いたように、長崎盲学校OB連中と10年の共同生活の中で、「目ん玉貸してくださ~い」から始まる一連のやりとりも、その根底となっていることは申し上げるまでもない)。

 

 こうした時にヒトは何かを決断したくなるものなのだと改めて思ったけれど、さしたることは出来ない。

 

 そんな時ふと思い出したのが、アムンゼンのことだった。たまたま昨年、谷中コミュニティセンターの閉館の前にそこの図書室の本をネットで紹介したくていろいろと物色していた時期でもあった(40冊ほどの紹にとどまっているが)。そんな時に、再会したのが偉人伝の本であった(いまはすでに中央図書館のほうに移動してしまっている。谷中コミュニティセンター閉館まであと1カ月ほど)。

Ijinden_amundsen_gattai


この本は、私の小さな頃に、出版社に勤める方から頂いた本でもあったのだ。懐かしい手触り。電子ブックではそうはいかないこの重み。。。で、偉人の中でもアムンゼンとスコット隊のことが好きになり、何度も読み返した頃のことを思い出していた。犬ぞりも忘れ難いし、二人の関係もこちらが年を取るごとに解釈も微妙に変わってくる。。。

 で、いよいよ2011年を迎えることになって、50歳の境界線に舟を出したいと思っていた矢先、このアムンゼンのことが浮かぶと同時に、昔から気になっていたアイバンクのことを思い出した次第。ところが、偶然にもそうしてアイバンクのことを再び調べ直しているうちに、角膜が長生きするということを知って、さらにネットを調べていて出会ったのが、

20081130日「123歳の角膜」という記事であった。

 

元のニュースはロイターによるものだが(Transplanted cornea in use for record 123 years Oct 23, 2008)、人の人生は120歳がせいぜいなのに、すでに、123歳を迎えた“角膜さん”がいらっしゃるということなのだ。

73歳で角膜をバトンタッチした方(仮にAさん)がいて、30歳で受け取った側(仮にBさん)が、50年使い続けた。

2008年現在80歳になるという。

73年(Aさん)+50年(Bさん)=123年(“角膜さん”) スゴイ!

 

記事にもあるように、エッフェル塔が建ち始める直前の1885年に生まれたAさん(と角膜)。そして、東京タワーが建ち始めた1958年に30歳の次の人Bさんへとバトンタッチ。

 

それも興味深いが、私がさらに注目したのは、この記事がノルウェー発であったこと。フランスでも日本でもない、ノルウェー。そう、あのアムンゼンを生んだ国のことであったのだ。とすると…。

この73歳で眼球を次へと譲られたAさんは1911年、26歳の頃に、アムンゼンが南極に到達したニュースに接したことであろう(譲った側がノルウェー人かどうかは不明だが、国内で移植された可能性は高いだろう)。場合によっては港にまでアムンゼンの乗ったフラム号の帰還を見に行ったかもしれない。重量402トン、高さ39mの木造の帆船に大きく手を振って出迎えたかもしれない。

 それから100年が経った2011年10月14日。もしBさんが83歳になってもお元気であれば、きっとアムンゼンの南極到達100年をノルウェーの国を挙げてのお祭り騒ぎの中で一緒に歓声をあげていたのではないだろうか。

 私はその思いを胸に、この日、日本の片隅でアイバンクに登録を果たした。

 私の“フラム号”は「境界線に舟を出す」べく、まさにこうして出航した。

眼の旅である。

 

角膜は、私たちの過去を、歴史的現在へと導いてくれるすぐれもの、だ。

次は、この角膜を直接、海に結び付けてしまった仮説に富んだ科学分野の本の話をしたいと思う。

|

2012年10月 2日 (火)

眼の概念工事から

昨日の9月30日は、松丸本舗に顔を出していた。松丸本舗とは東京の丸の内の一等地に出店した丸善本店の中のお店ショップインショップとして2009年に開店した実験的お店で、松岡正剛さんの千夜千冊をベースに編集学校の実働部隊がブックショップエディターとしてお目見えして、書店を構えたものということで話題を呼び続けた。

谷中からは自転車で行けるギリギリの距離にある。台風が迫っていたこともあって、自転車での走行は断念して、電車に「切り替え」た。大手町から丸の内オアゾへ。行き方には割と気を使う。

 松丸本舗の閉店日であった。この日を境に、松丸本舗は松丸本舗主義へと変身を遂げる(を見届けに…)。

 すでに「仕舞う」イベントは数週間前に行われていた。田中泯さんが踊っていた。

 田中泯さんの場踊りは数年前に地元でも2度、拝見した。

 最初は芸大の出入り口の門で。この時の印象を「門に入る」と題して以前のブログに書いていた。

…田中泯さんは芸大の門の前に番傘で仁王立ち。そして番傘を閉じて、門へ。門は。門と。門に。田中泯さんはそんな儀式をして倒れこんだ。そう、この瞬間に、マグニチュードとマルチチュードが噴き出す。。

と書いていた。2008年のこと。

 出入り口での、門へ。門は。門と。門に。という身体性はここ、松丸本舗での場踊りでも生かされた(と思う)。何しろ、松丸本舗は本丸のような本座に至るまであらゆる仕掛けのお城のようなものだから、三十六見附門じゃあないけれど、門がありそうだ(もっとも見附門のような監視のための門じゃなく、「眼の旅へ」で私が玄関でウッチャンと交わした鏡に映り込むような日々の儀式めいた編集稽古めいた門だとは思う)。

 そして、この日、各所に置かれていたのが、『松丸本舗主義~奇蹟の本屋、3年間の挑戦』。分厚い本だ。

 パラパラとめくる。われらが地元が生んだ一箱古本市の名前も見えた。と、そこに私の横を高山宏さんの顔が通り過ぎて行かれた。ふと、ここは地元の谷中・根津・千駄木(谷根千)なのか、判らなくなる。高山さんは、数年前に千駄木方面の駒込大観音で水族館劇場の芝居に客演されていた。幻想的であった。観客の中に、イズミさんも居た。イズミさんは今回、松丸全体を観望できる位置に陣取っていると聞いた。水族館劇場の(建築現場然とした)席を占めたことを思い出す。黒ずくめの高山宏先生(大学で教えてられたので)は松丸見附門に吸い込まれて行った。マントが残った。

 ぼくが「眼の旅」をこれから始めるにあたり、気になる方の一人が高山氏である。眼の美学を知ってられる。そしてそのために?眼を酷使する、このパラドクス!パラ毒す。『ガラスのような幸福』(1994年)を読まれたし。それと千駄木の書店・羽鳥書店が生んだ高山本もぜひ!『新人文感覚』。帯には「高山見ずして、本読むな。――松岡正剛」とある。

 さらに、パラパラとめくる。松岡さんのアイデアの手順が書かれている。その中に、概念の組み直しのための基礎編集力づけの一例として出ていたのが、「本」にいくつもの助詞や助詞っぽいものをつけていくというもの。

 「本が」「本へ」「本に」「本を」「本から」「本なら」「本めく」

こうすると、本で何かをしたい時に、行き詰っても大丈夫ということだろう。

「本」がもがいてみせるのだ(この日の挨拶でダキヤマ氏は本が立っている=喜んでいるという表現を使われていた。助詞から形容詞、動詞へ)。

そして先の「門へ」「門を」とも近しい、か。アブダクションに手を延ばす。(ipadの時代、再びこの問題に抵触してくるのではないか。デバイスをちょっと傾けただけで、本が、本へ、本と、と微分されていくことだろうから)。

 考えてみれば、こうしたことは、私も最近「明の窓」で応援している大阪の身障劇団態変の金満里さん言われるところの、のたうちまわる障害者身体にも近しい。ちなみに、劇団態変の最新作は「虎視眈々」という。

 それにしても、実験書店の名に相応しいほどの試みがあったことがこの本には書かれていた。

 本棚の奥行を普通の本屋よりも深く33センチとし、前後二重に本が置けるようにしたこと。このことだけでも掟破りだろう。65坪と狭いスペースでの策でもあるとはいえ、この取り出すという行為を込みで読者は本を買うことになるのだ。眼と手の快楽(本好きにしか判るまいニヤリ~一箱古本市にもそれがある)。

本棚は、一番下の段から一番てっぺんまで本を置く。取りにくい取りやすいよりも、「本の生態系」を活かしたのがこの配置。なるほど、この日も一番下の段に、『腹の虫の研究』なる本があり、他のコーナーの中ほどには、アーティスト、イリヤ・カバコフの新潟県妻有でのインスタレーション「棚田」があった。この棚には四季がある。田植えが、刈り取りが文字と姿絵になっていて素敵。

そして他のコーナーの上のほうに「EARTHING」なる本があった。手に届かないけれど、地球の進行形の生態系だろう。

 また、各棚を直角に突き合わせて建てたり、120度140度に組んだ時に生ずる連結部の三角部のアキには三角棚が置かれ、また、棚板が仕切り板より前に出て、棚板が自立棚をまたいで左右に、またジグザグにつながっていくようにしたという。天地の棚板が左右の仕切り板より最低4センチ前に出ていた。

 たしか、漱石の時代、本棚が立ち上がった。それまでは和綴じ本で背表紙がないため自立しえなかったものが、立体になった。ということを紅野謙介氏の本で読んだ覚えがあったが、さしずめこんな本棚構造なら、漱石の猫は、ひょいひょいと際を伝って行くに違いない。これまた漱石の居た千駄木には、今も塀をつたう猫の像が置かれている(日本医大から脇を入ったところ)。

私はこの構造を開店当初、初めて見た時に思い出したのは、講演で呼ばれたお茶の水の文化学院だろうか。あそこで講演をする(これ自体ジャンルお構いなしの講演で、ぼくの前が落語家さんが技を講演していた。HP版「ISIS本座」のようなものだ)と、教室の奥の窓から生徒が入ってきた。ようは隣の教室との間をベランダのように伝って入ってくる輩だ。文化学院にはそういう気概があった(で、リニューアルしてどうなった? 案ずるのは文化学院も丸善も、同じだ。文化は仕切りに関わるものだ。「人と本の出会い方」をこれからも心がけていきたいとこの日の挨拶で丸善の方が話されていた)。

で、当時そこの卒業生が、私たちが長崎盲学校OB連と一緒にシェアしていた一軒家に面白がって出入りしていた。ボ・ガンボス好きで、ぼくの好きなキヨシローも相手にしてくれた。(松丸でこの日かかっていた音楽がそのキヨシローだった)。おーい、たまには明の窓にも遊びにおいでや~。

 もっとも、9月28日ヤクルト-阪神の神宮球場での最終戦を見に行ったばかりの私としては、この球場の構造と、売り子(私は高校、大学とここでアイスやチップを売る売り子をしていた)の関係にも比肩したいところだ。

 大正15年に建ったこの建物の外回りを、巨人戦などでは、入場前から観客が場外を取り囲む(1977年の頃のことだから今はどうなのか知らない。巨人がどうしているかも知らない)。スタンドの暑い日差しで売る前に、この列に売り込む(これが許された時代だったのか、今ならどうなのかも知らない)。

Jinngu_uriko


 いずれにせよ、始まるとスタンドをひたすら歩きまわって売りまくる正統派と、話芸をもってお客との会話で売ってしまうバントヒット派が居て、ぼくは後者から影響を受けていた。試合の進行を壊さぬよう、しかも、アイスを売るというミッション。それから阪神を応援するという隠れたミッション(私だけの)。この時の眼と手と口と耳と足(身体すべての)がメディアになった感覚が今の私を形作っていることは間違いない。大マスコミのカメラには映らない~ぼくらはよくそのカメラの後ろに回り込んだ。ファウルボールも怖いしね。

 身口意の秘密、ここに凝縮せり、だった。

王選手が世界新記録を出す頃のことでライト側外野スタンドには入れなかったこととともに、またここでも書きつづりたいと思うけれど、その売り子の役割が、私にはここでの他の書店にはない、ブックショップエディターにみてとることが出来たように思う(大マスコミの裏に回るところも気に入った)。あっいかん、アイスが溶けていく。アイスいかがっすか~。

 で、ここで売り子がBSE(ブックショップエディター)に声かけられた。ギクッ。さっき伝記のコーナーで往年の江夏投手の伝記を読んでいたのがばれたのかしら。と思ったら、そうではなく本棚から引っ張って出てくる引き出しテーブルの上に乗っていた『戸籍を読み解いて家系図をつくろう』という本での出来事(イベント)だった。

遡るのは最初は興味がなくても、その時代を知ると面白くなったり、逆に先祖がいたその時代が色めいてきたりすると、BSEの立岩さん。初めてお会いした方だが、その話は本筋だ。でしばらく立ち話。1910年代が自分に手繰り寄せられたという話だった。また、もう一つは、ここ(松丸本舗)に彼女が来た当時のこと。東京駅が工事中だったことに話が至った。窓から見える東京駅。どう切り出したかは覚えていないが、その時に私は、咄嗟に、東京駅を挟んで対面にある東京中央郵便局が以前、東京駅と地下でつながっていてそこをトロッコが走っていた、という話をした。郵便物がそこを走ったのだ。で、その後、私が学生時代車椅子の人たちと旅行に東京駅を使う時には、この地下を通してくれた(バリアフリーが完備されていないこともあったが)。そこには戦前の下からせり上がるドイツ式EVがありそれに乗ったという体験もした。と言う話まですらすらと進展した。話していておもしろかった。

 これは何だろう。松丸本舗が松丸本舗主義へと変わるこの日の何かなのだろう、立岩さん、ありがとう。楽しく皆でもがきましょう。松丸が、松丸に、松丸を、松丸へ。。。

 話しながら、下の引き出された4センチの棚板を見た。これは将棋盤に使えそうだなあ。ぱちっ(駒音)。と思った。

 私は話終えると、しばらく逍遥の後、『松丸本舗主義』をレジに求め、サインに並んだ。松岡さんからサインしてもらうのも初めてのことだった。

 私が20歳代のころ、40代の松岡さんにお会いした時に、この棚板のような厚みの将棋盤を持ち出され数局指したことがあった。全部負けた。指しながら、『空海の夢』を持ち出されてはたまらない。まだ当時松岡さんが花田春兆さんの自宅からもほど近いところに住んでおられた頃のことだ。

ちなみに、私の将棋は強くはない。が、谷中の三崎坂、今の町人さんの対面当たりにあった小さな将棋道場に通い、最後にはそこのみんなで平塚のパイロット工場に招かれ、工員さんに完膚無きまでに負けた覚え、そして、大学時代には新宿のろう協のろう者に負けた覚え、といつも負けてきた。いずれ明の窓でも縁台将棋をしたいと思う。また、負けてもいいよ。古書ほうろうさん、よろしく。

 本にサインをしてもらいながら、思った。サインには紙に移らないように薄紙を入れてくれる気配りもあった。そうかそうか、これは将棋で言うところの封じ手だ。封じ手は翌日にまで試合が延びる時に、次の一手を先手側が書いて封をすること。後手側はそれがどんな手か分からない。先手側は一度書いて封をした手を変えられない。これが未来(明日)に向けての共同仮説、アブダクションなのであろう。

 それを、なんと、その封へ、これは手紙の作法であって、メールにはない作法だが、心を込めて封を綴じるという行為を含むのだ。手紙に書をしたため封筒に「仕舞う」。これを投函する。恋文のように、それはいつ相手に届くかなあ~、ここをこうして三つ折りの文をどう彼は開けてくれるかなあ、と言う行為は、手紙を「仕舞う」時の行為そのままなのだ。田中泯さんのそれだ。仕舞うは開けるを想うことなのだ。礼節を明日に届けることなのだ。それで、私たちはいつだって明日に、明日へ、明日から、明日をこそ、に賭けるのである。

 

 こうして、その“封”書は明日に向け、地下道を通り、幻のトロッコに乗せられ、東京駅へと向かったのだ! 黒いマントと、ともに。。。

 ※

 2012年10月1日。東京駅はその復元工事を終え、グランドオープンをした。カメラを手に多くの人が押し寄せた。一方、郵便局はこの日を境に、郵便局株式会社と郵便事業会社が統合した。この日を境に。

 松丸本舗は忽然と姿を消し、私たちは眼の概念工事を経て、松丸本舗主義とここに居る。すべては、そういうことだ。

ありがとう、松丸本舗。

Tokyostation_postTokyochuoupost_20121001

10月1日。東京駅から現在の東京中央郵便局をのぞむ(左)

復元された東京駅(右)。

※松丸本舗から東京駅へ向けてのロゴマークによるメッセージは、

『松丸本舗主義』206ページを参照。

おまけ↓(明の窓行き)

Tougouyuubin_akenomado_matsumaru

消印 東京中央

24年10月1日

 

 

|

2012年9月28日 (金)

眼の旅へ

しばらくご無沙汰しているうちに秋めいて、ここ東京にもひんやりと、山の上(上野台地)からの六甲おろしのような(いや、阪神は弱いので)、比叡おろしのような風を感じて(笑)、ちょっとばかり、武者震い…。近況を再開。

 

 ここ5年はいわゆるワーカーズコープ(仕事おこしの協同組合)の仕事で89月は炎天下での仕事のため体重がごっそり減る季節。自主事業としては谷中霊園でのお墓掃除で境界線を巧妙につたうドクダミ君とにらめっこ。また某郊外の霊園では2tダンプに乗ってストックヤードのゴミ捨て場にいくと、スズメバチが運転席のフロントガラスめがけてバチバチ体当たりしてきたりする。あるいは山谷の日雇いの人たちの現場監督というエラそうな肩書での仕事にしては、協同組合の理念で一緒に、炎天下の草刈りや清掃や側溝のどぶのふたを上げ、大汗冷や汗をかくこと多し、で一日が終わる、そんな季節。

 

 …今年は打って変わり(だいたい数年ごとにガラッと違うことをやっている)自身の頭の整理に没頭し、時折、私の事務所、明の窓とシェアしているイラストレーター茶ノ間さんの入れてくれるチャチャや、今年で20回目を迎える谷中・根津・千駄木(谷根千)やその周辺エリアから100か所以上参加する「芸工展」の参加グループや個人が、明の窓のあるこの場所に、出来上がったばかりのガイドマップを取りにやってくるのを、気が向くとお相手させていただいている、とても刺激になる。

 

(私の相方は実行委員なのだが、私は”協力者”なので、時折、背を向けたままで無愛想にて失礼。102021日は私の企画「みゆ字を綴る3」も明の窓でやってます、以上PR)。

 

さてさて、

国会図書館に行って資料を漁るのがこのところの日課になりつつある。自身のアイバンク登録を機に、「眼の旅」について、書きたくなってきたからだ。

Shouzaki_niwanogakubuchi


最初の書き出しはもう決まっていて、ここは前回もちょっと書いたことだが、一軒家を借り切って5人で8年ほど住んでいた時のこと。

一軒家にシェアして長崎盲学校OB連中と住んでいた時分に、出がけによく玄関で、「坂部さん、目ん玉貸してくださーい」とウッチャン(内田勝久君)が声をかけてきた。「上と下の服の色は似合ってますか?」と背広やワイシャツのコーディネイトのことを聞いてくる。まあ、鏡の代わり、だ。で、

「うーん、ばっちりだよ」と言うが早いか「ホントーですかぁ?」と返してくる。

 

彼は私という人物の心をえぐるように(ドキッとさせるように)ホントーですかを連発していく、私も応戦するが、こうして長い間に彼との間に出来あがっていくものは、、鍛えられ、研ぎ澄まされていくものとしての、私の奥底に映り込む文字通りの鏡なのである。そうして恐るべきことに(?!)彼が直観的にそこを感じとっているかもしれないということなのである。私の目に映るもの(に期待する)より、そこからの応答を待っているのかもしれないということ。

 

そこに、今度はトランプゲームが絡んでくる(予定)。自身の手の内を見せないのがトランプなら、自分だけが自分のカード(のうち一枚の内容)を知らないというトランプゲームの紹介をする。他の人はこちらの手の内を全部知っている。もちろん、各自一枚ずつは知らない(私はこれを点字図書館でのゲームの集まりで草場さんという方に教えて頂いた)。

そうすると、これは相手の顔色をみて自身の戦略を立てずには居られなくなる。目ん玉貸してくださーい、のウッチャンの気持ちが何となく判ることになる。

そうしてもう一つ言えること。トランプカードの歴史を見ればやはりゲームがエスカレートし、よりギャンブル性を強めていったであろうことは想像に難くない。これは(後に生まれたであろう)タロットカードのように、絵札そのものに象徴的な意味があるというのとは対照的に、絵札は半分を「境」に上下に双頭の絵を描くことで、言うなれば手の内を相手に知らせることもなくなったとも言える(タロットでは逆さになった絵には逆さなりの意味が付加される。一方、トランプは双頭でないと手の内でひっくり返さなければ見づらく、かといって直していると、手の内に絵札があることもバレテしまうだろう)。

 

さあ、こうなれば世のグローバル化同様、手の内だけの私的空間をつくることで、ゲームにも拍車がかかり、場合によっては金貨が舞い踊ったのかもしれない。

が、これはタマサカ、テーブルの上と手の内との関係でしか、ない。

「目ん玉貸してくださーい」「ホントーですかぁ?」におけるドキッ、ドキドキ感に遠く及ばないのではないか。

少なくとも、試合に負けた悔しさよりも(おまけに)試合に勝った嬉しさよりも、齢を重ねるごとに研ぎ澄まされる自身および自身のカードを交感する楽しみのほうが勝る日がやってくること請け合いである。試合に勝った負けたに勝るのである。すごいことではないだろうか。

「そういうけどね、半値八掛けの手の内をお得意さんには見せちゃーいけないんだよ」と私もメーカー時代よく言われたものである。建築材関係だから、代理店も工務店もあり、そのたびごとに、手の内の見せ方(隠し方)が変わる。たしかに致し方ないのかな。。でも、今の世の中、一方では情報の漏えいが騒がれ、データが何万件と流出する事件が後を絶たないなかで、こうした手の内に固執せず、自身が率先して手の内を相手に委ねてしまうことで、相手を介した自分が見えてくるという大きな意味での複層的トレードこそ、これからの商売というものじゃないかねえ、どう思う?「ホントーですかア?」

 

というように、経済社会にまで喧嘩を売るつもりはないのだが(笑)、それでも、続いてはワーカーズコープ(仕事おこし、自分たちで出資もするけれど、汗もかく協同組合。法制化が全国レベルで盛り上がっている)の話に加勢を頼むことはしたい。そうとうワーカーズコープには教えられることが多かった。素晴らしく面白い仕組みである(いずれ面白みをちゃんと書くことにする)

冒頭に書いた仕事の体験もワーカーズコープという仕組みが成し得たのだとすれば凄い事だし、他の仕組みでも出来ることであれば、まだ、模索は続けることになる。私がこの仕組みでの諸先輩から教わったこと、ならびに、いまのギクッというウッチャンとの掛け合い漫才、じゃなかった、交感。この辺を交えた時、私の終生のテーマの一つであるところの「境界線に舟を出せ」(境界線に佇むことで見えてくること。境界線が今の世の中なにかと騒がしいけれど、本来境界線に佇めば佇むほど静かなものだと思う。研ぎ澄まされた静けさが勝ってほしいですね)にも通底するものが見えてくるように感じていている。

そこのところで、援用したいのが、仏教における戒律であったのだ(国会図書館にはそのことで通った)。戒律というと禁止事項ばかりがイメージされるが、もともとは自発的な僧伽の集団の維持と関わりがあることは、私も最近になって知ったことではあるのだけれど、当面は最初に日本に正式な戒律をもたらしたと言える鑑真のことが気になって仕方がない。もちろん、失明から眼の旅を導くことも出来るわけだが、失明を乗り越えて、という部分が突出して語られてきた歴史と、鑑真らが伝えたかったものとが、なぜ、別々なのか。

私は先の心の奥底の鏡を持ち出す絶好の好機であったと、みた。

もちろん、先学の先生方のようには鑑真のあれこれを調べる力量はない、(お金もない(笑))、よって、これは鑑真に映り込んだ自分を語り尽くすしかないということになる。アイバンク登録は済んだ。風は冒頭からほどよく吹いている。さあ、出港だ。

|

2012年7月12日 (木)

早稲田大学で内田勝久&坂部明浩コンビの講演

早稲田大学の所沢キャンパスで講演をしてきた。福祉の援助技術の授業での話。
 この授業で話が出来るのは、北区の約7年の共同生活時代に一緒だった内田勝久君しかいないと思い、今や北区十条の内田治療院の院長として超多忙を極めるスケジュールの内田勝久先生(とお呼びしないと失礼だ!)に無理を承知でお願いした。担当の川名先生も福祉のフィールドにおられながらも、幅広くご活躍の先生で、いつも感心させられる。私が当時雑誌WE(フェミックス)で連載中の記事(まさに、この共同生活の中のコミュニケーションの流れをエッセイしたもの)をご覧になられて、地元での地域活動を自らされている先生のアンテナに引っかかったという次第。以来、長崎盲学校OB仲間のとくさんをはじめ、数々の場面で出会い、お世話になってきた。その先生が援助技術の中で、ジョギングやマラソンの伴走体験を踏まえた講義をお願いします、とのご依頼だった。

Waseda_uchida_sakabe_2

(左 坂部 右 内田)
 
 考えてみると、今からもう20年も前に、車イスで活躍中の作家、俳人の花田春兆(しゅんちょう)さんのご縁で集まったメンバーによる「えびす曼陀羅シンポジウム~障害者、神話に出会う」を私が企画した際に、初めてシンポジストの一人として、名だたるメンバーにひるむことなく、しかも、歴史の分野の話にもかかわらず、何とか話を合わせつつ、最後に、視覚障害者の職業でもあった近世の琵琶法師の話の際に、「私が今ギターを弾いているのも、現代の琵琶法師のようなもんですよ」とすんなりスマッシュヒットを飛ばしてくれた。(シンポジウムでは初めて聞くようないわゆる業界用語も飛び交うが、彼はその場で積極果敢にその用語を取り込み、何度か自分の舌の上で転がすように喋っては、相手の反応をうかがい、だんだんと自分のものにしていく、まさにカタチから入ってタイミングを捉えて吐き出すことで「意味」となって相手にリターンされる、そういうことにおいて凄まじい才能を発揮した。この印象は今も変わりない)。
 以来、イベント(東京タワー点字物語)や雑誌の企画の数々で、気が付くといつもウッチャン(内田勝久君でも、内田勝久先生でもなく、この呼び名がピンとくる)に大事なところを頼んできた。彼に任せておけば、どんな悪条件であってもカタチにだけは必ずしてくる、そういう抜群の安定感に支えられてベッちゃん(坂部の「べ」、汚らしい呼び名なので、一回きりにする)もここまでやってこられた。感謝感謝のベッちゃんだ(いかん、二度も口に出してしまった)。

Hanada_ebisumandala_sympo_2

(えびす曼荼羅シンポ1994年

左より 花田春兆、松岡正剛

 田中優子、エバレットブラウン

Ebisumandala_uchida

えびす曼陀羅シンポジウムから20年経ったが、朝4時とか5時とかもっとも早くメールが来るのがうっちゃんなら、夜11時過ぎにメールが届くのが86歳になられる花田春兆さんだ。花田春兆さんは特養老人ホームでとっくに消灯時間なのに、個室で指一本でポチポチとメールや原稿(連載だけで今も月2本ないし3本!)を書かれている。二人ともいったい、いつ寝ているんだろうか。

私はそんなウッチャンの様子をみて、認知心理学者であり、JJギブソンのアフォーダンス理論のよき理解者の佐々木正人先生を当時、私たちの住む家にお迎えした時のことを思い出し、そのことを少し今回の講義でもしゃべらせてもらった。佐々木先生は当時、この早稲田大学人間科学部で教鞭を取られていた(現在は東大)。佐々木先生はウッチャンが走り高跳びの選手だと知り、その練習の様子に興味をもたれ、撮影されていった。とくに、相棒が手を叩く方角に向かって走り、踏切り板を踏むその踏む様子などを丹念に撮影されていたのだった。
たぶんここには、環境からのフィードバックからだけではなく、逆に働きかけ、フィードフォワードしていく彼の姿が見えてくるのではないだろうか。だが残念ながら、140センチもの高さを跳ぶということ自体が私にはとうてい想像がつかない。それで悔しいけれども、陸上が無理なら、せめて、彼の中の身体感覚のうちから、ふだんの行動や会話を私なりに捉えて、先ほどのシンポジウムで感じたように、彼の凄さの一端として、自分なりに考えてみたりしている。

Waseda_yhouse_2

(Yハウス、一軒家まるごと借りきって5人~6人で約10年住んでいた)

Waseda_yhouse_kumitatechuu_2

(みんなでベッドの組み立て)

Waseda_yhouse_normalization_2

(だんらんの様子~「ノーマライゼーション」誌1995年より)

 一軒家にシェアして住んでいた時分に、出がけによく玄関で、「坂部さん、目ん玉貸してくださーい」とウッチャンが声をかけてきた。「上と下の服の色は似合ってますか?」と背広やワイシャツのコーディネイトのことを聞いてくる。まあ、鏡の代わり、だ。で、
「うーん、ばっちりだよ」と言うが早いか「ホントーですかぁ?」と返してくる。間髪をいれずに、だ。もちろん、ほんとうに不信感をもってそう言ってきたこともあるだろう。が、それにしてもその間髪をいれないで放つ言葉は、あるいは、私の「ばっちりだよ」に対するフィードバックにあらずして、ようは、「ばっちりだよ」とか「もう少しかなあ」の答えの結果を待たずとも、彼は「当たらずとも遠からず」で先手を打って、「ホントーですかぁ?」という連打を私に打ってきたように思える時が多々あった。
 これを打ち返すのは、少々工夫がいる。「いや、ホントーだとも!」といえば、たぶん、そのことに食らいついて、彼の当時の本業たるアパレルの知識で応酬されるだろうし、「いや、ちょっと待てよ」と答えれば、こちらのミスに乗じて、鏡の役以外もそこに加算してくるであろう。まさに、試合巧者である。私も実際の野外フィールドでの試合は運動神経がないので遠慮するが、ここは負けるわけにはいかず、食い下がる。「ナンデ、そう、思うの?」と打ち返す。ナイスショット!
と思う間もなく、「だって、いま、呼吸が一瞬止まっていましたよ」でブロック。
たしかに、これも実際に呼吸が止まっているのを感じとって(フィードバックして)「ホントーですかぁ?」と言った可能性もある。が、ウッチャンの運動神経からすると、「ホントーですかぁ?」とまず出しておいて、打ち返してきたので、咄嗟に呼吸の止まっていることを指摘するなどというのは、たやすいことであろうから、理由などはあとから考えて、とりあえずは、「ホントーですかぁ?」と相手に投げかけることぐらいは出来るのではないかと思っている。まあ、いずれにせよ、朝の玄関でこれだけのドラマがあるとすれば、ウッチャンたちと共同生活の7年~10年がいかにスリリングであったかがご想像頂けるであろう(笑)(内田勝久著『見えないぼくの明るい人生』にも面白く触れられている)

いや~。つい、大人げなく興奮してしまった(笑)(うちではうちの相方から牛君と呼ばれている モ~)
今回の、ウッチャンの講義の中で、めったに聞けない靴の販売の話を聞いていて(ウッチャンのところでは運動用の靴も販売している)、咄嗟の営業マンとの話など、まさに、この辺の咄嗟の機転の連続であったのだろうなあ、と思ってついつい聞き入ってしまったのであった。いや~ウッチャンの話はいつ聞いても、悔しいかな、ベッちゃんの話の10倍は面白いね~。学生諸君も、もうけもんだったんじゃないかな?

Waseda_uchida_2 Waseda_uchida_tool

 (携帯しているツールも披露する内田勝久さん)

 
 おまけに、この日はウッチャンとの伴走体験まで全員でやることが出来ました。
廊下のスペースを使って、ひもを手に、リズムを合わせて行って帰ってくる。
 以前、ほかで伴走体験をしたことのある学生がまずは名乗りを上げる。それからはすっかりみんな和気あいあい。スポーツは心と体を開放してくれます(牛君は放牧です)。そして、最後に残った一人。彼は足の具合が今日はよろしくないので躊躇されたらしい。…と、悪いほうの足を聞いたウッチャンは、とっさに、「じゃあ、ケンケンで伴走してもらおうかなあ!」と、これまた前代未聞のケンケンによる伴走だ。もちろん、ウッチャンもケンケンをする。みんなからやんやの声援。
 このへんがいつになっても親しみのもてるウッチャンなんだなあ。伴走体験をするということでシューズをはき、講演ということで背広姿。その上で、相手に合わせてケンケン。まあ、7人ものスタッフの内田治療院の経営者として、しかも、最近では口コミでトップアスリートが治療に訪れるようにもなった、その内田院長が、ケンケンを一緒にやってしまえること、これがじつにスゴイ!のだよ、君。

 その辺を泥臭いと言ってしまうと違ってきてしまうのだが、ましてや学生に対しても対等だとか平等という言葉では歯が浮いてしまうのだが、そうではなく、彼はいつもその状況に対して一矢(いっし)も二矢(にし)も報いて、時に悪あがきをして、時にそれをネタにしてしまう、そういう下積み時代から変わらぬ彼が、いつも憎たらしいほど、清々(すがすが)しくて、面白くて…。
 自分で目標を定めてそこから逆算して突き進め、と彼は最後に学生に言った。
ぼくはケンケン跳びをして若い学生と共にあるウッチャンのあの肩幅の広い後ろ姿に、その彼の道がまっすぐに繋がっていることを確信したのであった。

※この講義でも話が出たが、現在、内田治療院には、今度のロンドンオリンピックにマラソンで出場の藤原新選手も治療に来られているという(いや、藤原選手が騒がれる前からのことだ)。あるいは、アメリカにまで、ウッチャンも出向いているという。これは羨(うらや)ましい。ウッチャンが?それとも藤原新選手が? いや、どっちも、だ。まったく憎たらしいほど(二人の関係が)羨ましいぜ!

 ロンドンオリンピックがんばれ~!

※ウッチャン情報では、この日の夜にマスコミの取材を受けるというので、近々放送があるかも知れません。内田治療院HPを見逃さずに

7月23日追記

内田勝久さん(われらが、うっちゃん)の登場が決まりました!

7月25日(水)

NHK「おはよう日本 首都圏」

朝7時45分~8時(念のため7時40分位から見ていてくださ~い)

輝け!ロンドンの夏(4)

「マラソン藤原新選手を支えた街。東京 十条」

おはよう日本 首都圏HP

追々記 7月26日記】

二人の関係が清々しかったですね~。治療院に行ってみたら、電話が午前中は鳴りっぱなしだったとか。まあ、それにしてもロンドンの市街と十条の市街を見立てるというのは、スゴイですね! 驚きの「都市のパッサージュ」です。

 ちなみに、都市の足裏感覚を砂利、土、そしてコンクリートと歩いてきたと、そういう伝え方をしてくれたのも、ウッチャンはじめ、長崎盲学校仲間だったから、十条の足裏感覚もそのままロンドンに(二人で)持って行かれたことでしょう!

 藤原新選手の練習先のスイスについたうっちゃん(内田勝久さん)からは、NHKテレビで十条のお店の人たちにうっちゃんが頼んでいた寄せ書きが、無事、藤原新選手に届けられたことをメールで伝えてきました。

Juujouginza

藤原新選手の足裏感覚も十条銀座商店街(上)から

ロンドンへ!!

※佐々木正人先生は2008年になって、『時速250㎞のシャトルが見える~トップアスリート16人の身体論』という本でトップアスリート16人に取材して、身体と心の関係を聞き出すのではなく、身体と環境の境界面で語ってもらうべく聞き出されている。「例えば野球の選手にしか語れない球場の広さとか、スキーヤーにしか語れない雪面を主題にする語り方」を引き出されている。
エリア…バトミントンの潮田玲子、サッカーの名波宏ほか。地面…100m陸上の朝原宣浩、F1の鈴木亜久里ほか。空気…体操の鹿島丈博、棒高跳びの澤野大地ほか。以下、水、力とつづく。
※以前、のちに『まぼろしの邪馬台国』という映画のモデルになった宮崎康平氏の奥様の宮崎和子さんに何度かお会いしたことがあった。視力を失った宮崎康平氏の邪馬台国九州仮説を打ち立てるための九州の立体地図を創られていたことが、ずっと気になっていたせいもあり(またアフォーダンスにも通じることでもあり)、いつかは、私の住む、東京の谷中・根津・千駄木(谷根千)ならびに弥生式土器の出た弥生町にお誘いしたいと思いつつそのままなのが心苦しいが、ウッチャンにそんなことを話すやいなや、いつの間にか、長崎旅行を彼の内田トラベルで企画していたのには驚かされた。「長崎ハウステンボス・島原の旅」。すっごく楽しかった。

長崎にあって、島原鉄道の復旧工事を指揮している時に、土器が出てくることにピンときて壮大な邪馬台国の仮説を民間研究者としてどーんと打ち立て、邪馬台国ブームまで生んだ、あの故・宮崎康平氏。長崎県人、恐るべし、だ。早稲田大学出身者でもあり、森繁久弥が学友だったそうだ。

Waseda_uchida_shimabara_3

(島原鉄道に乗り込むところ)

Waseda_yhouse_uchida_sakabe_2

(20年前の内田&坂部コンビ

 ~Yハウス前にて)

|

2012年6月24日 (日)

岡山で感じたこと

岡山に出かけた。やはり、今回も『境界線に舟を出せ』の旅となった。

境界というものの謎は、依然、私を惹きつけてやまない。

 岡山というと、岡山出身の内田百閒(ひゃっけん)を思い出す。虚と実のあわいを描くのが得意な作家。その百閒に「件(くだん)」という作品がある。「件」という字は「~の件」のほかにも件(くだん)や件(くだり)と使うことがある。内田百閒の件(くだん)は昔から居る化物のそれだ。「にんべん+牛」であることからも、牛と人間の間の存在である。ここにも境界線がある、のか~。

 三日の間に予言を告げて消滅する存在らしいが、その予言を期待する村人に囲い込まれた私(件になってしまっているらしい私)の話だ。予言などと言われても、困る。

私も、困る。私はここ(岡山)に三泊いる。ということで、三日の間、牛と人間にこだわって旅をした(相棒の雀のチュンは背中に乗っている)。

初日、倉敷では阿智神社に参拝した。境内には、戌亥(いぬい)「北北西」の方向へ、荒神社を挟んで一線に連なる天津磐境があった。古来からの信仰であろう。磐座と磐境がたくさん在った。20年前に日立で磐座を研究されていた滝口悟さんにお会いした日を思い出す。障害者のネットワークもされていた。日立シビックセンターで元NASAの宇宙飛行士の話を聞いたり、屋上のポールに陽が立ち現る設計になっていると滝口さんから聴いたことが忘れられない。あちらは陽が昇る国の話。

 岡山の阿智神社の磐座。

 こんなところにUFOでも降り立つのかなあ、と独り言。

私はこの倉敷で、宇宙人を感じた。宇宙人に会った、のではなく宇宙人を“感じて”きた(といったら驚かれるだろう)。富来屋ギャラリーを出たところで、あっ、と感じ、三宅商店の抹茶オレを食べ終わって庭を見ながら、うっ、と感じた。田植えの農器具置き場ではおっ、とうろたえた。

そして、夜。千屋牛を食べに出かけた。さすがにしつこさがなく美味しい。

食べたからには、やはり、牛に感謝しないといけないという条“件”が私に突きつけられる。命(いのち)を頂くという境界線。こうして一日目が終わる。

 二日目。吉備路。吉備津神社。鳴る釜の神事。桃太郎伝説。鼻ぐり塚…。吉備津彦神社。

この鼻ぐり塚で牛の供養。牛三つを並べて犇(ひし)めく、と書くが、まさに牛の鼻につけられていた輪が何百万個と犇めいていた。

ここは福田海(会ではなくより広く海!)という宗教法人が創設し、管理している。福田海は陰徳を実践する団体のようで、無縁仏の供養の塔も率先して建てている。そうしたところが宗教と福祉のこれまた境界にたたずんでいてじつに興味深い。私のテーマとするところでもある。

(私も以前、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」200788号で、谷中霊園内の五重塔再建が盛り上がった折、五重塔は無縁の人の供養の象徴にしてほしい、と寄稿したことがあった。都の土地ゆえ、宗教施設として建てられないのなら、客寄せの観光としてだけでなく、どの宗派からも等距離の無縁の人の供養として、建ててほしい。日雇いの山谷の人たち(東北出身者も多い)の仕事のサポートをしていた時に、郊外の無縁のお墓を(いつもと違って)神妙な顔で清掃する山谷の人たちの姿を見て、思いついたことだった。それから数年後には日本社会全体が無縁社会の陰に怯えるようになった。詳しくはいずれまた書こう)

そうしたことを理由は何であれ、福田海のように実践に移してしまえるのはスゴイことである。参考にしたい。

鼻ぐり塚あたりが備前、備中の境界線である。私は思わず足を止める。あとで知ったことだが、地元の薬師寺慎一著『考えながら歩く吉備路』によれば、この境内にある有木神社は古くからこの境にあった神社のようで、その小さな神社の前にある不動岩と背後の山並みの凹部から、冬至の日に、日の出線がまっすぐに入るのだという。一方、この凹部をまっすぐに降りるように細谷川が流れて、先の備前、備中の境界線を形成しているということであれば、まあ、何ともいくつもの境界線がここに交差しているように思えるのである。

「無縁」という宗教から近くて遠く福祉をも見据え、さらに、いのちを頂くことへの境界線を抱え、吉備の境界線を、冬至と共に関係づけている、そんな場所なのだ。

さらには、桃太郎の鬼のルーツともいえる温羅(うら)と当時の朝鮮、中国の情勢。技術や文化を伝えた渡来人の側が温羅(うら)になってしまっている可能性。二重に封じ込めている可能性。識者たちが伝えるこうしたことも、何かこの境界線に佇むことでのみ、ふと、“感じる”ことがありそうな気がした。そもそもそこを居所と定めた福田海の慧眼に感服したい。

『境界線に舟を出せ』。不動岩には清国の軍艦の錨が「不動」明王として祭られていて、「滅亡した清王朝の追福、および日中親善の願意も込められている」(『考えながら歩く吉備路』)そうである。

Okayama_hosoyagawa_4

(細谷川にかかる両国橋)

三日目。牛頭天王を祀った田倉牛神社へ。「願い事に対し、備前焼の牛像を一体奉納し、代わりに神座にある牛像を一体持ち帰ります。大願成就の暁には持ち帰った一体と、お礼にもう一体を加えて、ご神体にお返しするという風習」を守ってこられたのであろう。ここにも備前焼の牛像が犇めいていた。町とそこに参詣に来る人たちで支えている牛神(うしがみ)社だ。

参道にある店舗と窯を構えている天牛舎さんで、牛の型を見せていただく。牛にも個性をいろいろと持たせているようで、楽しい。犇めく個々性。窯とお返しするという風習と町の祠、そこに何か新しいシステムが垣間見えてくるように思う。

 こうして、牛神社をあとにして、瀬戸内市の牛窓へ。

牛窓には、ツバメが乱舞していて楽しい。海は穏やか。井戸もあった。そして、長い参道の階段を登ると牛窓天神社の本殿に至る。ここからの海の眺めが素晴らしい、さすが晴れの国、岡山。

 モ、モ~。

ホテルも細かい配慮が行き届いて素晴らしく、土産物の一つ唐子人形は障害者の作業所(せとうち旭川荘)で創られたものであった。

 朝鮮との交流が江戸時代からあった土地柄なのだそうだ。

こうして三日が過ぎた。件(くだん)の三日のうちに何の予言も残しはしない。代わりといってはなんだが、今、自宅には牛君が二体。犇めいて、いや、牛牛めいている。大願成就の暁には「持ち帰った一体と、お礼にもう一体を加えて、ご神体にお返しするという風習」を見越して、(二人で一人分のお返しの)二体をすでに用意してある、これを予言といおうか、ズルと言われようか、早とちりと取られようか、それは勝手の次第。

Okayama_ushigamisha

(自宅に持ち帰った二体の牛像~私こと牛君と雀チュンのご愛用) 

 

 私たちもきっとお返しにいこう、その時は、かの倉敷の宇宙人も必ず瀬戸内海の見える丘の一つに降り立って、この岡山の海を悠々然と眺めていることだろう。

Okayama_ushimado_2 Okayama_washuuzan

|

2012年6月 2日 (土)

庄崎隆志さんの『額縁から愛を込めて』

ついに、楽しみな日が来た。風の器を主宰する庄崎隆志さん の登場~。おや?でも、どこに? 「明の窓」の部屋の中を見回しても何処にも居ない?

 小庭に出る。とここには、額縁たちがオブジェのように展示されている。

Shouzaki_jitensha_tirashi_2

ひゅ~。何処?

Shouzaki_niwanogakubuchi_2

ひゅ~。庄崎さんが現れた。

Shouzaki_toujou

ひとしきりの挨拶のあと、縁側から風と共に入り込むと、

両側に開け放たれた襖(ふすま)の向うに庄崎隆志さんが現れ、「額縁の中の庄崎隆志さん」に惹き込まれていきました。

Shouzaki_danjo

観客との掛け合いも庄崎ワールドのお得意とするところ。

時折、額縁の外でのやりとりも。。。

Shouzaki_kamera

 そのあと、手の詩人の本領をいかんなく発揮した男と女の出会い。

 みんながフ~っとため息をついて見惚れていると、庄崎さんの風が舞い、縁側から再び、外へ。

Shouzaki_idou

 外のチェアに着席して、『額縁から愛を込め』て眼を閉じれば、あっという間に、そこには舟が海が魚が、、、。

 まさに変幻自在。

 海上の庄崎さんと海中の魚たち、をつなぐのは呼気と吸気でしょうか(後のワークショップでは呼吸をコツにした動きを皆に披露してくれました)。生き生きと泳ぎます。

Shouzaki_kaichuu

 呼気と吸気、そして風。ひゅ~。

 わずか一カ月ほど前、ここには55日の子どもの日の鯉のぼりが飾られていました。ここにも風が吹いていましたよ、ひゅー。

Shouzaki_koinobori_sakana01

 風に昇る鯉のぼり(5月)と、庄崎さんに息を吹き込まれる6月の魚たち。。。

続いて、額縁から愛を込めて、とハートマークを強要!する庄崎さん(笑)

Shouzaki_aijou_2 

あっという間に休憩時間となり、その時間を利用して、

庄崎隆志さんが主役を演じた映画『ゆずり葉』の予告編を上映。

また、ロケ地となった阿部建築さんのところでのカンナの特訓の写真も映し出され、今日の繊細な手の詩人からは想像できない、無骨で腕のいい大工“敬一”に一同新鮮な驚き!

Shouzaki_yuzuriha

 予告編を見終わると、ぜひ、谷中で上映してほしい、との声も上がり、カンパも上々、終わってみれば、2,150円集まりました。

有難うございます。多くの方に見て頂きたい映画ですので、引き続き、呼びかけていきたいと思います。

後半は、ワークショップ。

手の体操のあと、ペアで筆談器を使ったゲーム、額縁に参加者みんなが集う創作(!?)などなど。盛りだくさん。とてもいい“気”が流れた一日でした。

Shouzaki_shouzou

Shouzaki_hitudan

 ありがとう、庄崎隆志さん。これからも、日本全国にいい“気”を交感してきてください。そしてまた、お会いしましょう!

Shouzaki_mataaimashou Shouzaki_shuugoushasin

※コンテンポラリーダンスでの共演もこなす多彩で風のような庄崎隆志さんに、今後も谷中の明の窓から、エールを送りたいと思います。

|

2012年5月13日 (日)

明の窓でイベント(手の詩人・庄崎隆志さん登場_6月2日)

明の窓」に手の詩人・庄崎隆志さん登場です。

先日、庄崎隆志さんが下見をすまされ、明の窓の空間をチェックされました。明の窓のそこ、ここの窓枠をフレームに見立て、晴れていれば、空間全体を縦横無尽に展開されるでしょ う。   

Mado_gakubuchi_shouzaki_sotokara_2 Mado_gaku_shouzaki4jpg

 ここから、庄崎隆志さんが主人公を務めたろう者による映画『ゆずり葉』のロケ地、阿部建築さんまで20歩のところ。しばらくは懐かしい町並みを散策されて、本番での再会を約束しました。イベントの概要は以下の通りです。ふるってご参加(要申し込み)ください。

※            ※            ※

手の詩人・庄﨑隆志さんのパフォーマンス

「額縁から愛を込めて」

(恋人の日、記念)

                              

日時:2012年6月2日(土) 13時~

場所:明の窓(あけのまど) 台東区谷中3-9-1 

参加費:500円/1人(+カンパ)要申し込み

カップルで5組(10名)

※男女、親子、男同士、女同士、カップル形態問わず。

http://ake.image.coocan.jp/(明の窓HP

aki_sakabe@yahoo.co.jp(申し込み~氏名、連絡先を明記)

主催:明の窓(あけのまど)(坂部)

     ※   ※

感じ、出会い、発見する 手の詩人、こと、パフォーマーの庄﨑隆志さんが、

谷中の「明の窓」にやってきます。

今年もまもなくやってくる「恋人の日」※612日(火))にあやかり、フォトフレームの中の男女、額縁の中の愛、窓際の会話を一足(ひとあし)先(62日)に楽しみませんか?

庄﨑隆志さんは、2009年、谷中や谷根千を中心にロケが行われたろう者早瀨憲太郎監督はじめ多くのろう者キャストによる映画『ゆずり葉』(2009年)の主役を務められました。映画『ゆずり葉』のテーマはろう者の苦難の歴史を踏まえた、普遍の愛(男女の愛、親子の愛、仲間同士の愛など)です。

※「恋人の日」とは。ブラジルを中心に612日は、恋人同士がフォトフレームなどを贈り合う習慣があり、日本でも普及を狙い1988年に全国額縁組合連合会によって制定(「6/12」WIKIより)。

※このイベントは、未だ実現していないロケ地、谷中での映画『ゆずり葉』上映に向けてのPR活動の一環にさせて頂きます。カンパ等、よろしくお願い致します。

|

2012年5月 8日 (火)

2012年5月3日 一箱古本市 二日目

一箱古本市二日目。いよいよ私たち明の窓茶ノ間も一箱古本市の大家さんデビューの日でもある。

あいにく前日からの雨が続くことが予定されていた。朝から、降っている雨を前に、恨めしそうに空を眺め、明の窓の鯉のぼりは雨を遡ってどこへ行ったのだろうと、屋根を見上げた。

 さて、晴天ならば、庭に三箱の店主さんたちが並ぶ予定、少雨ならば、縁側に店主さんということであったが、この様子では、縁側は雨が吹き込むので中に完全に入って頂くことを助っ人さんと相談して決める。その上で、テントの入口のように、覆いを軒下にかぶせた。

Hitohako_sotokara

 そのうちに、大きな荷物を抱えて店主さん達が登場。それを縁側で出迎える私たち。ようこそいらっしゃいました。何か旅館の番頭さんの気分だ。明の窓東館と茶ノ間西館、あるいは、茶の間旅館と明の窓温泉といった感じか。

 鯉のぼりの旗を持っているほうが明の窓温泉、か。

 荷物が庭に集結し、畳はシートを敷いて、順々に庭から縁側に引き上げられる。その瞬間は、若い頃にやった高島平のトラックターミナルでのバイトや、出版取次会社での本の搬入などを思い出した。

助っ人の方々から、三店主さんを紹介される。こんにちは、と顔を上げるや否や、「こちらがちのり文庫さんです」と言われる。恐れていた“ちのり”さんがもうこの中に、、、居た。

 場所はほどなく決まり、荷を解き始める。人力旅人の本箱さんは大きなリュックを手際よく解き放っていく。旅慣れている“お客さん”だ。

 初参加のAmuletさんは端正に“本と本人”が並んでいる。私も店主初参加の時の緊張感を思い出した(点字物語2006を控えての参加でそれをPRすべく「夕やけだんだん堂」としたおぼえがあるが、その後ミイラ取りがミイラどころかすっかり一箱古本市の魅力に毎年引き込まれっぱなしになっている)。

 そして、ちのり文庫さん。“地の利”を生かして早くもみんなが見渡せる場所を占めている(ようだ→怖くてあまり視線を向けられない!)。

 慌てて目を外のほうに向ける。と、明の窓に影が! 

Hitohako_kutsu

 しと、しと、ぴちゃっ。じっとりと濡れた一箱古本市巡りのお客さんだった。「いや~、凄い雨ですね」とシートを敷いた縁側脇で靴下を脱ぐ人。今年は、スタートから雨で出足はボチボチ。でも、キャパが少ない明の窓&茶ノ間にとってはちょうどいいお客さんの流れであった。(昼からそうとう賑わった)

 対応の様子は、各自の店主さんたちの記録のほうが確実なので、そちらをご覧頂きたいが、私たち明の窓茶ノ間さんも同じ空間で自らの商品の販売をさせていただいた。そこから見た景色でいうと、ある時間帯はみんながみんな立ちっぱなし。ふと、眼を逸らして再び気が付くと、いつの間にかみんながみんな座り込んでいる。これが面白かった。数学ゲーム理論のようである。

Hitohako_tachiyomi

もちろん、中腰で後ろから覗くというのもあるが、これも氷が水へ、水が水蒸気に変わる一瞬、そのどちらの状態もが混在するといった感じで、分子間の間の力の代わりに、読書欲がどちらか(立つか座るか)を決めている、かもね。

 お客さんが途切れた時を見計らって店主さんともお話する。Amuletさんは岸田衿子さんの本があったので、岸田さんが谷中にいらしたことを話す。

 続いて、ちのり文庫さん。怖い本は、、、あっそうだ、ホラー作家の倉阪鬼一郎氏が昔谷中に住んでいた話をする。

若い頃(サラリーマンだった頃)、夕やけだんだんあたりでよく彼に出会った。不敵な笑い(と見えた)と、不思議な笑い(子ども会の踊りを反芻する私の顔)がラッシュアワーの日暮里駅の改札あたりで合流する面白さ。ラッシュアワーは私たちにお構いなしにすべてを呑みこみ、私たちもラッシュアワーにお構いなしに、山手線に揉まれ吐き出される(不味かったのだろう)。

日暮里の御殿坂あたりのことを書いた倉阪氏の作品もたいそう面白い。それに、赤い羽根の記憶などというタイトルのものもあり、私のような福祉を表看板に(文化を裏看板に)する者には、募金かと思いきや、血なのですよ、血!

 …というようなことを先手をとってちのり文庫さんにお話すると、喜んでくれた、と同時に右手から血のり?!シールを出し、これ、どうですか?

 そして、人力旅人の本箱さん。寡黙な感じの店主さんであったが、お話するとすごく魅力のある方だった。だいたい、校正を職にされていて、今回の本の中にも、校正マンとしてのフセンを貼った本が出店されていた!痕跡本がまだ見ぬ読者との交感としたら、校正マンが読んだ本は…。じつのところ、倉阪氏も校正マンであり、その頃のことを本(『活字狂想曲』)にもされていた。

 そして、ステーションビヴァークSTB、いわゆる駅泊のお話をした。1980年代に「STBのすすめ」を出し、STB友の会を結成されたどらねこ工房氏に私はそうとう、影響を受けてきた。生き方に。(私に無い部分をお持ちという意味で)。

それで、お会いしにも行ったし、どらねこ工房の出版物にも突如寄稿させていただいたこともある。かなり行きあたりばったりのサプライズ(私が一番驚いた)寄稿であり、当時同居人の長崎盲学校の仲間も一緒に会って、二人してかなりどらねこ工房氏に共鳴していた。

 直接会うこともそうなのだが、離れれば離れるほど、便りがなければないほど、どらねこ工房氏の存在は私の中に立ち上がる。私のブログの書き方はつねに、“そういう”ところに書くつもりで書いている(身近な仲間に礼を欠くようだけれど、性分だから仕方ない)。

 どらねこ工房氏はその後神戸に拠点を変えられ、ヨットに寝泊まりというかたちで全国ホーローの旅に出られると暑中見舞いが届いたのが昨年。その後、しばらくHPでその様子が判ったものの、超過疎の島に移住するとのブログを残して今年の430日にHPも閉じられた。「どーぞ皆さんお元気で!」

 こうして、心にぽっかり穴があくどころか、私の中にどらねこ氏が生涯棲み続けることになった。その矢先の、一箱、人力旅人の本箱さんであった。

 嬉しかった。寡黙でいい、寡黙がいい。私はSTBを経由して過疎の島に至り、こうして人力旅人の本箱さんとお話しているのだ。身近にいても(私のところのすぐ隣だったのだが)、遠く遠く遠くから経由して出会う「今」がある。

「そろそろ、時間になりますので、計算など…」と助っ人さんの声がした。助っ人さん、雨の中お疲れ様(ずっと、雨避けシートのところで一箱古本市の出入りをさり気なく見守って下さっていた)。

私も明の窓旅館の番頭さんに戻った。

時間が来た。箱が片付けられる。下に敷いたシートを片付けよう、血のりは付いていないようだ。シールだからね。

みんな元来た縁側を降りていく。また、会いましょう。

 有難うございました~(旅の宿一同)。

 

Hitohako_tabidachi

|

2012年5月 2日 (水)

2012年4月28日 一箱古本市2012 一日目(つづき)

(つづき)

と、その前に、往来堂さんに立ち寄らねば、と思いつき、自転車を止める。

不忍池の方面に行く車、西日暮里に走る自転車、日本医大に一歩一歩坂を登るお年寄り。まさに往来。

 近江の逢坂の関を思い出した。

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(おうさか)の関

ここは境界線好きな私としてはよく訪れた場所である。

琵琶の名手の蝉丸神社がある。

花田春兆さんの『殿上の杖』も併読されたい。

Ousaka_no_seki

さて、Cafe Earlybirdさん⇔アートスペースゲントさんとのその行きつ戻りつで、往来堂さんは二度通ることになるだろう、との予想のもと、一度目は軽く流すつもりが、「嫌記箱」さんの箱に目が止まってしまった。幻想文学もあるけれど、震災報道についての本などのドキュメントも充実しているので、つい、捕まってしまう。今回は「渋沢栄一~社会企業家の先駆者」

2011年一箱古本市の時の私のブログ「嫌記箱さんから、「まぼろし万国博覧会」。ちなみに私はこの1970年の万博には行っていない。このことは先の読んでない本大賞にも通じるだろうか。」 

2009年の時の私のブログKINGYOさんでは、「嫌記箱」さんの『エッフェル塔試論』に手が届かんとして、他の手が一歩早かった。…代わりに内田百間の『東京焼尽』。310日の東京の大空襲のことも書いてあった。」

かなり、気になる箱のようだ。

Cafe Earlybirdさんでは、「本と本の雑貨」さんの箱へ。海外の図書館や古書店の写真が美しい。やっぱり本を読むことをもっと大事にしようよ、日本人と言いたい。谷中コミュニティセンターの建て替えの計画でも図書館はもっと良いものにと願うばかりである。

「日本のロゴ」という本が気にいる、安かったし。これは帰って茶ノ間さんに見せよう。看板写真展も企業の看板を背負うも、同じ、なりぬ。

 ここからアートスペースゲントさんへ、やや長めの旅、なので、明の窓に立ち寄り、荷物を留め置く。軽くなるとまた、買う気が起きる、マズイ!

 榊翆簾堂さんで(ペンギン堂さんだったかな? この辺から早回りで、お店が多少うる覚えです、ご免)、「天使突き抜け一丁目」をゲット。颯爽と着物姿で自転車に乗って京の町を突き抜けるエッセイといったところか。真似をしてみたいものだ。堕天使突き当たり初音四丁目。

Hitohako_hotaruzaka  

(蛍坂にて)

一路、自転車で貸し原っぱ「音地」に向かうも、途中で息切れ。降りて押していく。築地塀を通り音地へ向かう。この道は映画『ゆずり葉』のロケでも映画スタッフが通った道だ。子どもの頃は、ここ、こそ、怖かった、ように記憶する。これはここが怖かったというよりも、自身の記憶の極限だったからか。

が、そこを跳び越えて、音地には再び私の子どもの頃の記憶につながってくれる。野球で自転車小僧たちが集まって、そこから谷中の墓地のフィールド(球場)へ向かうのだった。五重塔跡の礎石がまだ手すりなどで囲まれて(記念碑化されて)いない時期のフィールドオブドリームす。

 音地では、「博士の愛した数式」。その一節に、「タイガースに入団する際、球団から提示された三つの背番号。1,13、28の中から、彼は28を選んだ。江夏は完全数を背負った選手だった」とある。17までを+すると28になる。

 私も小学校時代、野球チームに入ったのはよかったが、ユニフォームに背番号18を付けたら、それはエースナンバーだからダメ、と言われ(エースの意味もわからないまま)、それなら、12にしてやろうと、28に決めた。以来、江夏を知り、半生にわたるタイガースファンになった。単純な数式だ。

 ここから、古書信天翁+深セン+松野屋)さんへ。威風堂々たる名前が好きだ。あほうどりと読む。この景色に相応しいネーミングだ。「日本のロゴ」にぜひ加えてもらいたいものだ。ここからの景色は、私の明の窓の地図にも使わせてもらっている。

 「屋根裏の散歩会」さんの箱から、「解剖学はおもしろい~死体からDNAまでの秘密」をゲット。ここでもまた、明の窓に53日にやってくる、ちのり文庫さんの免疫づくりである。谷中霊園には、東大医学部へ献体の慰霊の千人塚もある。

2009年の時の私のブログに「(花歩では)「古書北方人」が待ち構えていた。迷わずに『「図説」人体博物館』を手にした。」とあって、やはり千人塚に言及している。本はW(ダブ)っていないが私の言うことは進歩がいない(笑)

 たしかここでは、さらに、どなたの箱からか定かでないが、『【新しい】新しい単位』という本もゲット。新しい単位を創る本。例えば、レジで「お待ちのお客様どうぞ」と言われるラッキーさを1Rg(レジ)とする単位。落としたトーストのバターを塗った面が上になっていた時のラッキーさが、12Rg

上野動物園に行って、パンダが起きていた時のラッキーさが35Rgといった具合。

 気になるのは、「玉にキズ」の単位。これがNpr(ニッポリ)になっていること。「美女に住んでいる所を尋ねると日暮里だった玉にキズさ」を1Nprとして認定されている。「本人は美女なのに両親がそうでなかった」1080Npr。「美女なのに後ろ姿が変だった」が115,000Npr

 ならば、夕やけだんだんのdandanで単位を創るとすると何がいいのか、降りながら考えよう。

 花歩さんへ。ここでは小石川植物園のスケッチ会の方が似顔絵スケッチをされていた。植物園の道路拡張の工事が進んでしまっているのはさみしいが、こういうスケッチの会があるとホッとする。花歩にピッタリ。頂いた『雲のうえ』も『東京人』「歴史で歩く東京の公園」いずれも牧野伊三夫さんという方の絵で、先のスケッチの会の講師もなされているそうだ。

 上野公園は今、改修中だけれど、高校生の頃、よくこの周りを走って、そのあとに、噴水前で太極拳の集まりに合流した。10人くらいは居ただろうか。三日目くらいに、ちょっと遠いところからの視線を感じた。画学生が盛んにスケッチしていた、次の日も、次の日も、そして次の日も。。。太極拳は白鳥の舞いのように優雅で、至福の時間だった。スケッチには白鳥が描かれているのかな~。スケッチの上の筆の動きがそのまま太極拳なのかな~。

一箱にスケッチ、じつにいい企画だった。

Ueno_hunsui

 こうして、白鳥の舞いのまま、足は最後の古書ほうろうさんへ。

ある箱の店主の若い男性がじっと来るお客さんを見つめている。うーん。この訴えかけるような目から逃れるには、どの本かな、あった『不可能性の時代』大澤真幸著がこの状況にピッタリに思え購入。

 「スコットさんじゃないですか~」と背中から明るい声の主は「駄々猫」さんであった。昨年の「読んでない本大賞」でスコット隊の本『世界最悪の旅』を挙げて以来、駄々猫さんからそう言われていることを一年ぶりに思い出した。

 今日は、『戦争絶滅へ、人間復活へ』むのたけじ(聴き手黒岩比佐子)。駄々猫さんのお勧め。惜しくも亡くなられた黒岩さんのサインが入っていた。

 93歳のジャーナリストの発言だ。結び書きに、「語り手としての思い」が載っていた。

「すらすら読み進むのでなく、曲がり角や要所では立ち止まってほしい。彼はここで三丁目に進んだ。私なら一丁目に行く。彼が一丁目や二丁目に背を向けたのは、なぜだったか。…あなたの生活のマナイタに本書、すなわちむのたけじを載せて、包丁の背で存分に叩いてもらいたい。こういう叩き読みで学べば、生きるという動詞に真に値する生活力が鍛えられ、高められるのではないか。私はいくら強く叩かれても、痛くなんかない。いっそう嬉しくなるに決まっています」

 営業中の古書ほうろうさんにちょっと立ち寄り、将棋の本を一冊手に、千駄木三丁目をあとにする。将棋本の棋譜を開きながら、私ならここはすぐに玉を守らずとも、歩を突いていくべき、とかなんとか、そうこうするうちに谷中三丁目に行く、明の窓の灯りがともる。

53日は三箱店主さん達がお目見えする。みなさんどうぞ明の窓茶ノ間にもお越しください。

|

2012年4月29日 (日)

一箱古本市2012 一日目

4月28日。恒例の一箱古本市。天気晴朗。

わが「明の窓」から自転車で出発だ~。明の窓では、(シェア仲間の)茶ノ間さんが一箱古本市の関連イベントとして、茶ノ間スタッフのますだゆきえさんによる「みちくさ看板写真展」の開催が始まった。今日は気合が入っているようで、楽しみ楽しみ~。では、行ってきます。

まずは谷中のCOUZT CAFÉへ。自転車を止めるとすでに多くの人だかりがあった。時間は午後1時を回っている。今日はいつもより、遅めのスタートにした。(そんなわけで、早回りのため、以下の記述で一箱店主さんと、その本の対応が違っているものもあるかと思いますが、ご容赦ください)。

昼下がり、COUZT CAFÉのおしゃれな窓の上のほうの“スベリ出し窓”(サッシ屋はこう呼んでいた)が思い切り全開されていて気持ちよさそう。

 その窓下に並んだ箱、箱、箱。

 今日はStore Frontさんの「クリスト」関連本から。

 なぜというに、12年前、東京タワーでの私たちのイベント(点字物語「天の尺(あまのじゃく)2000」:東京タワー足下のタワービルから展望台までの外階段531段を全国から募集した短編33編を点字に打ち変え、階段手すりに貼りつけ、そこを80人の視覚障害者と晴眼者が協力して読み昇った)を行なった時に、友人からクリフトのようだ、とおだてられたこともあったからだが(そこまで大袈裟でもないのだが、布で包むのではなく、触るという皮膚身体感覚と物語とで東京タワーを包み込んだものであるが、そんなこともあって、クリフトは気になる存在だった。クリストは、日本の茨城とアメリカで同時にアンブレラ計画を立てて、実施している(失敗もしている)。そのこともあって、2002年頃、私たちも同じ茨城の某建築中の建物での第二弾の点字物語を実施しかけて実現に至らなかった苦い経験も一緒に思い出していた(その4年後に谷中、「夕やけだんだん」では実施した)。そんなことでまず、Store Frontさんの「CHRISTO」をゲット。最後のほうにそのアンブレラプロジェクトの企画段階のイラストが載っている。これだけでも儲けものだ。

 スベリ出し、上々~。

 その横のほうに古書 五っ葉文庫さん。去年、旧安田邸での「読んでない本大賞」が面白かった。

http://plaza.rakuten.co.jp/500rakan/diary/201104290000/

 私も読んでない思いをぶつけたら、けっこう反応があり、調子に乗って/乗らされてしまった。私は南極探検で、アムンゼンと競ったスコット隊のことを書いた『世界最悪の旅』を「読んでない本大賞」にエントリーした。ペンギンの装丁が美しい本、古書ほうろうさんで買った本だった。

 この本は読めない。アムンゼンが先に南極へ到達してしまう。それを後から南極へ到達したスコット隊は、ノルウェーの国旗を目の当たりにする。意気消沈。その帰り道のことだ。極地は困難を極める。

 私はアムンゼンの伝記を子どもの時に繰り返し読んでいた。今考えるとちょっとだけ出てくるスコットの記述が気になったからと思う。それからまた少し経って読み直すと(本多勝一氏なども書いている)、アムンゼンは極地に立ったものの、無事に帰れる確証がなく、極地に建てたテントで後から来るであろうスコット隊に、手紙を託している。どちらかがどちらかの保証人になるということなのだろう。そういう極限のメッセージだ。

で、で。そのアムンゼンが南極到達から100年目を迎えた去年の20121214日。私はアイバンクに登録をした。私自身が極地の旅に出られない代わりに、「目玉の旅」をこころざすことにした。極地の360度の視界は白一色。そのことを想った。そして、スコットに手紙を託すアムンゼンの気持を想った。私は私の目玉をまだ見ぬ誰かに託すことになった。。。

 私はこれからの人生の光景を残し、そしてそこに託す、ことにした。

 眼の額縁に飾りながら。

 「世界最悪の旅」はスコット隊を記した本として後世に出された。アムンゼンは読んだのであろうか。

 人生において生と死は避けられない。極地を考えよう。

 この本は、(私の眼に代わって)その誰かが読んでくれることだろう。。。

というような高尚なことを考えている私の目の前に、あのいつもの古書 五っ葉文庫さんが「ここで今度は痕跡本の…」と名調子。いやー、アナタのオカゲで、メモリアルな人生のフシメを迎えることがデキマシタよ~。感謝感謝。

 ギャラリーKINGYOさんへ。KINGYOさんでは、以前、郷土史家の加藤勝丕さんが子ども時代谷中霊園石畳で遊んだことの再現?として禹歩(仙術でもある)を展示したので、「東京の原像」加太こうじを旅猫さんの箱から頂戴した。

 一路、喜多の園へ。じつのところ、一箱古本市2012の二日目、53日の開催スポットの一つとして、私たちのところ「明の窓&茶ノ間」も使って頂くことになった。で、3箱の一箱店主さんがやってきてくれる。が。。。

その一つが、どうやら、ちのり文庫さんという。その名の通り、怖いものがお得意ならしい。一箱古本市の53日店主一覧をチェックすると、「こわいものは暮らしを楽しくする。」「こわいマンガ、こども向けのこわい本、秘境…」怖いものがお得意らしい。まずいね。うち明の窓は、こう見えても、福祉と文化の境界線という売りでデビューしたんだからね。免疫ないし、ね。

 ということで、免疫をつけるべく、喜多の園さんでは、ぴっぽ島綺譚さんの箱から、『少女地獄』夢野久作著を頂戴した。うーん。、、。

(つづく→Cafe Earlybirdさんへ)

| | トラックバック (0)

2012年2月 4日 (土)

兵庫へ

20120204

兵庫駅高架下に、阪神・淡路大震災時に救援対策本部となった神戸ろうあハウスがあり、そこに全国からも参集。私も17年ぶりに訪れた。

いまも「ろうあハウス」の看板があった。

一方、たしかこの駅にいらっしゃった靴磨きの人たちの姿は、、もうなかった。足元を見つめた

20120204_2

|

劇団態変の危機に東京からエール(参集)を!

兵庫では劇団態変の福森さんにお会いしに行くという目的があった。

お会いする予定の場所に向かった。

(20年前も福森さんにお会いしに行ったことがある。その時は、当時、メーカーの販売企画部にいた私は、巡回展示用の大型トラックにスケジュールを合わせてそれに相乗りして大阪に朝着いていた。。。)

今回も夜行バスに揺れて東京から一泊3日のビンボー旅。

なかなかたどり着けない、のか。

高速(光速か)で、すれ違うトラック。ドップラー効果。相対性理論。いかん夜行バスは物理的時間と心理的(居眠り)時間のずれ(根津の飲み屋に出没される?茂木健一郎さんっぽいね)をどこで払い戻ししてくれるのかしら。。。

F「本日は、お寒い中、遠いところ。。。近い方もいる」。遠くて近いドップラー効果、相対性。

夜行バスは、腰が痛くなる、曲がってくる。足はやっと動かせる程度。靴を脱ぐ。

靴はきれいにそろえたまま幕(バスの窓カーテンが閉められる)~気づいたら翌日になっていた。

「皆さまそろそろ、三宮に着きます」とアナウンス。

斜めに倒していた椅子の背もたれを元に戻す。隣の人もゆっくりと起きて背もたれを元に戻す。ほぼ同時に椅子の背中と背中が揃う。ハハハハ。何かのご縁ですね。と背中が言った気がした。

「公園に夕日が沈んで

公園の広場には散歩する人々

小さな旗を風になびかせ

大きな帽子のアイスクリン売り

公園の噴水を飲むように

夕日が傾きはじめ

母親の背で少年はむずかる

「アッ こうもり」

母親の声に

ふっと気をはぐらかされ

泣きべその少年は

学校のことを口にしなかった

(詩人 福森慶之介さんの1975年詩集『ざくろ』より)」

Taihen_fukumori_san

…一体、私は福森さんの何に会いに行ったのであろうか。背中を揃えた瞬間、そのすべてを不条理にもリセットしたかのようだった。背もたれは、私たちが下車した後も、翌日には再び斜めに倒され、起こされ、その後、何千回と「それ」を繰り返すのかもしれない。

そのたんびに夜と朝とも反転を繰り返すのだった。

朝の陽はまばゆいのだ。夜はまだ明けぬか。

※  ※

背中で語る、

心ある人たちよ、

態変の危機に参集を!

いま、劇団態変が存続の危機に瀕しています。何としても踏みとどまって頂かなければ、日本の文化は総崩れになることでしょう、そのくらいの非常事態なのです。

態変の様子ならびに応援の仕方などは、以下を

http://www.asahi-net.or.jp/~TJ2M-SNJY/main/help.html

劇団刊行の機関誌「イマージュ」は

私の事務所、「明の窓」にも多少はバックナンバーを揃えて置いてありますので、ご覧のうえ、ぜひ、定期購読をお願い致します。福森さんのCDも最高です!

「イマージュ」の刊行コンセプト、これに私なぞはノックダウンしました。われわれは境界の浸透圧です!

掲載しておきます。

「イマージュ」刊行コンセプト

 

文化は高いところから低いところへ向かって流れると言われます。
マクロな流れとしてはそのとおりかもしれません。
しかし、例えば障害者(主流から外れた周縁として片隅にに追いやられてきた最たる存在でしょう)が
パワフルな発信源となるのを目の当りにすることもあります。
「虐げられた者の声を聞け」は論外。単なる転倒・アンチ、にも留まらない。
とことん突き抜けて面白かったりするのです。

 

ひょっとするとそれは"濃度"です。
インディペンデントに存在し、自らの濃度を高め続けていく事ができたら・・・。
異なる濃度を保つ境界には浸透圧が生じます。
するとそこにはいろいろ変わった渦や流れも現れましょう。
高い濃度を持つ細胞は、どんどん水を吸い込んで膨れあがり、やがてはじけたりもします。
そこかしこにそいういものが浮游している情景を描いてみるのです。 

 

神が細部に宿るように、個別性に宿る文化があってよい。
情報誌『IMAJU』イマージュは、徹底して個別性にこだわった発信を目指してみます。
個別性にこだわりつつ、異文化の交差点を創り出せたら・・・。

※  ※

3月11日午前6時5分、態変劇団員福森慶之助さんが、永眠されました。

素晴らしい舞台の数々をありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

|

2012年1月16日 (月)

小石川植物園

20120115

|

2012年1月 7日 (土)

経王寺から

経王寺から20120106

| | トラックバック (0)

2012年1月 6日 (金)

夕やけだんだん上から

20120106_2

夕やけだんだん上から

|