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2012年10月10日 (水)

眼の旅へ ②

1963年10月に、アイバンクが慶応大学病院と順天堂大学病院に設立されたという。また今日、10月10日はその形から眼の愛護デーともされている。

こういう日には、眼の旅のつづきを考えてみたい。

 

 アイバンクで提供される眼の角膜。これは約180年近くも機能し続けるらしい。そう、一人の人間の人生を超えて生き(機能し)続けるのが角膜なのだ。

そうした命の連続性を次の世代へとバトンタッチしていけるのが何ともアイバンクの不思議だ。

で、私がアイバンク登録したのが、昨年の2011年12月14日。なぜ登録したか、そして、なぜ、この日だったか。

 昨年は日本にとってもいろいろあり過ぎた年であったし、また、私個人にとっては人生の折り返し点となった50歳を迎えてのことであった。(もちろん、前回書いたように、長崎盲学校OB連中と10年の共同生活の中で、「目ん玉貸してくださ~い」から始まる一連のやりとりも、その根底となっていることは申し上げるまでもない)。

 

 こうした時にヒトは何かを決断したくなるものなのだと改めて思ったけれど、さしたることは出来ない。

 

 そんな時ふと思い出したのが、アムンゼンのことだった。たまたま昨年、谷中コミュニティセンターの閉館の前にそこの図書室の本をネットで紹介したくていろいろと物色していた時期でもあった(40冊ほどの紹にとどまっているが)。そんな時に、再会したのが偉人伝の本であった(いまはすでに中央図書館のほうに移動してしまっている。谷中コミュニティセンター閉館まであと1カ月ほど)。

Ijinden_amundsen_gattai


この本は、私の小さな頃に、出版社に勤める方から頂いた本でもあったのだ。懐かしい手触り。電子ブックではそうはいかないこの重み。。。で、偉人の中でもアムンゼンとスコット隊のことが好きになり、何度も読み返した頃のことを思い出していた。犬ぞりも忘れ難いし、二人の関係もこちらが年を取るごとに解釈も微妙に変わってくる。。。

 で、いよいよ2011年を迎えることになって、50歳の境界線に舟を出したいと思っていた矢先、このアムンゼンのことが浮かぶと同時に、昔から気になっていたアイバンクのことを思い出した次第。ところが、偶然にもそうしてアイバンクのことを再び調べ直しているうちに、角膜が長生きするということを知って、さらにネットを調べていて出会ったのが、

20081130日「123歳の角膜」という記事であった。

 

元のニュースはロイターによるものだが(Transplanted cornea in use for record 123 years Oct 23, 2008)、人の人生は120歳がせいぜいなのに、すでに、123歳を迎えた“角膜さん”がいらっしゃるということなのだ。

73歳で角膜をバトンタッチした方(仮にAさん)がいて、30歳で受け取った側(仮にBさん)が、50年使い続けた。

2008年現在80歳になるという。

73年(Aさん)+50年(Bさん)=123年(“角膜さん”) スゴイ!

 

記事にもあるように、エッフェル塔が建ち始める直前の1885年に生まれたAさん(と角膜)。そして、東京タワーが建ち始めた1958年に30歳の次の人Bさんへとバトンタッチ。

 

それも興味深いが、私がさらに注目したのは、この記事がノルウェー発であったこと。フランスでも日本でもない、ノルウェー。そう、あのアムンゼンを生んだ国のことであったのだ。とすると…。

この73歳で眼球を次へと譲られたAさんは1911年、26歳の頃に、アムンゼンが南極に到達したニュースに接したことであろう(譲った側がノルウェー人かどうかは不明だが、国内で移植された可能性は高いだろう)。場合によっては港にまでアムンゼンの乗ったフラム号の帰還を見に行ったかもしれない。重量402トン、高さ39mの木造の帆船に大きく手を振って出迎えたかもしれない。

 それから100年が経った2011年10月14日。もしBさんが83歳になってもお元気であれば、きっとアムンゼンの南極到達100年をノルウェーの国を挙げてのお祭り騒ぎの中で一緒に歓声をあげていたのではないだろうか。

 私はその思いを胸に、この日、日本の片隅でアイバンクに登録を果たした。

 私の“フラム号”は「境界線に舟を出す」べく、まさにこうして出航した。

眼の旅である。

 

角膜は、私たちの過去を、歴史的現在へと導いてくれるすぐれもの、だ。

次は、この角膜を直接、海に結び付けてしまった仮説に富んだ科学分野の本の話をしたいと思う。

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